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金曜礼拝/2008.3.28 [ゴスペル]

ゴスペル学院生のリードでたっぷりと賛美しました。
アリ・レジャイアン師のメッセージ。
礼拝を瀬尾師がリードされましたが、姉の祈りには独特の雰囲気があります。主の臨在を喜ぶ祈りの素晴らしさは独特です。
http://www.worship-japan.com/event.html
御名を掲げて
Dancing
勝利の宣言
いつくしみ深き
その大きな愛ゆえに
栄光ある主の御名
主はあまねく全地を見わたし
主の愛が今

アリ・レジャイアン師
[メッセージから]
ヨハネの福音書 3章1節~9節
たとえ偶像であっても、彼らは神を(救い)を求めているのです。私達が指差すものではない。批判したり否定することは救いにつながらない。救いは神からくる。私達はその人を注視し、理解したいと願うことから始めなければならない。
人生の中で真に自分の自由になることはほとんど無い。ストリートチルドレンになったのも生きるために食べ物を盗むのも、連れ去られて兵士となったのも、自分から望んだことではない。危険を冒したい訳ではない。「自由だ」という多くの方が、出生や国、親、環境に捕われて生きている。
ベテスダ(あわれみの家)の池の病人は38年という現実の前にあきらめ、みんなが同じなのだからと諦めていた。
主は、不平不満のみで諦めていないか、変えたい、変わりたい決意はあるか、そこを見られる。
「よくなりたいか」イエス様は心に聞いている。
「立って」 ~ 過去に囚われたくないなら、先ずたつ。
「床を上げて」 ~ 今までのことを片付けて
「歩きなさい」 ~ 前へ進む
多くの宗教・哲学が人の過去、経験や行為を問う。過去から真の問題解決の方法は得られない。今、明日が見えないから問題なのであって、もし過去を問うて問題が解決するなら誰もが救われているはず。
イエス様は過去を決して見ません。今を、明日を見られます。何より、未知の明日に供に手を取り歩んでくださる。私が一歩踏み出すときに主が道を整えてくださる。
いや、主の計画が既にそこにあるのです。
在主

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